序。新型コロナウイルス感染症の影響で、子どもたち、お母さん方、受験生、仕事が困難となり経済的な戦いの中にある皆さん、ご高齢の皆さん、ご病気の皆さん、本当に大変な中でこのオンライン礼拝に参加されておられると思います。 イースターのイエス様の復活の後で、お弟子さんたちは、やりきれない空しさを抱えていました。ガリラヤ湖の別名ティベリア湖畔での弟子たちと復活の主の出会いの物語から主の祝福の御言葉を受けましょう。
21:3 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。
弟子たちは、エルサレムから生まれ故郷ガリラヤに戻って行きました。そこには、3度もイエス様を否んで逃げたペテロを筆頭に、イエス様を見捨てた他の弟子たちもいました。そしてガリラヤ湖で漁をしていました。なぜ一度は、捨てた漁師の仕事をしたのでしょうか?
弟子たちは、十字架に躓き、イエス様を裏切り、自分自身にも失望し、しかたなく、生活のために漁師の生活に戻っていたのかもしれません。いずれにしても、弟子たちが、十字架から逃げ出したことに違いはありません。失望落胆し、主イエス様と共に歩む事も、人生の目的も見失いかけていた弟子たちの姿をここに見るのです。
ヨハネ15章5節のイエス様のお言葉を思い起こします。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」
主イエス様から離れた歩みは、表面的には順調そうに見えても、本当の意味で、実を結び、実を残すことはないのです。
私も学生時代、留年し、卒業後の全ての道が閉ざされて、アルバイトの生活に明け暮れていた頃は、心はイエス様から離れて、それは砂を噛むような虚しい生活でした。
イエス様は、私について来たい者は、自分の十字架を背負って私についてきなさいとお命じになりました。十字架の道には、確かに苦しみ、痛み、戦い、迫害、そしり、辱め、犠牲があります。しかし、十字架の道を歩む者だけに本当の恵み、祝福、主の勝利が約束されているのです。
今朝、あなたは、自分の前に差し出されている十字架の道を歩まれていますか?それともそれを避け、安易な道を選ぼうとしていますか? 私たちの心を今朝、自己吟味しましょう。もし、あなたが十字架を避けておられたら、今日、選び直しましょう!皆さん、アーメンですか?
弟子たちは、故郷ガリラヤに帰り、元の生活、生き方に戻ってしまいました。私たちも、イエス様にお会いする前の状態に戻ってしまう事がある事を教えてくれます。自分の生まれながらの肉の力で失敗し、だめだから主を信じ、主に拠り頼むように変えられたのに、信仰生活に行き詰まりを感じると私たちは、また昔の経験、昔の成功体験、自分の力、自分の能力に頼ろうとするのです。
本当に頼るべきお方、主から離れてしまうと、頼るのは自分の力や経験だけになってしまいます。
主から離れると、人は結局、限りある自分の能力や経験だけに、あるいは、親や家族、他の人や財産やお金に頼ることになるのです。ここに落とし穴があるのです。
(1) イエス様と再びお会いした弟子たち(4~5)
21:4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」
主イエス様は、ガリラヤ湖の岸辺に立たれました。ペテロたちが夜通し働いても、魚が一匹も取れず、疲れきった朝です。イエス様は、失望落胆する者の傍らに立たれます。
今朝も、主はいつも失望する私たちの傍らに立たれるお方です。
イエス様は、「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」と優しく呼びかられます。
これは、弟子たちの心を探る質問です。私たちの弱さ、失敗、実を結ばない人生を見透かしておられる質問です。 イエス様を離れては何も出来ない、本当の豊かな実を結ぶことが出来ない。そんな弟子たちの弱さ、失敗、落胆を、主は知っておられます。
- キリストなき家事や育児、キリストなき仕事や勉強、キリストなき人生設計や家庭形成の空しさ、喜びのない人生をイエス様教えてくださいました。弟子たちも、私たちもイエス様に結びついたからこそ大漁の恵み、祝福を経験したのです。 これは単純な真理です。しかし、わかりきったこの真理を自らにあてはめるかどうかで雲泥の差がでます。主イエス様との正しい関係に入ることは、信仰の原点に立ち返り、イエス様を受け入れることがスタートです。
ペテロのことを考えてみましょう。7節で、弟子のヨハネが「主だ。」と言った時、ペテロは裸であったので、上着をまとって湖に飛び込んだと記されています。
「上着をまとった」ペテロの行動の中に主と正しい関係の回復の仕方を教えられます。主との関係が回復するためには”上着”が必要なのです。それは、「罪の悔い改めと主イエス様への信仰という上着」です。あなたは今日、ペテロのように、湖に飛び込む必要はありません。しかし、”上着”をまとい主の御前に出ることが必要です。今朝、あなたも「罪を悔い改め、イエス様を信じる信仰」をもって主の御前に出て、もう一度、人生をリセットをして、あなたと主イエス様との関係を回復しませんか?
21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。 弟子たちは、主イエス様のみ言葉に従い、大漁を経験しました。
- 主の御言葉に従うことは祝福の土台です。6節「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」「右側」とは「神の側」「神の権威と祝福の場所」意味します。
弟子たちが一晩中、網を打っていた舟の左側とは、自分の考えや経験、努力の側です。過去の成功体験です。あなたの今までの歩みは、舟の右側に網を打っていましたか?それとも左側に網を打っていましたか? 弟子たちは、イエス様に従い、舟の右側に、みんなで協力し、神の側に網を打ったのです!
その結果は、何と153匹の大漁でした。 21:11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。
この153匹という数字は、当時知られていた魚の種類とも、世界の民族の数とも言われます。
教会はどのような人々が来ても救いの網が破れることがありません。そして教会は1つです。
あなたも今までの左側の自己中心から、弟子たちのように、今度は、舟の右側に、みんなで協力し、主のみことばに従う時、大きな祝福を受け、大いなる御業を拝するのです。
家庭でも、学校や職場でも、実を結ぶ生涯となるのです。「イエス様を信じて、再スタートする時、人生はやり直せる。」そればかりか、パウロは、ピリピ4:13「私は、私を強くして下さる方(キリスト)によって、どんなことでもできるのです。」 と語っています。「主にあってマイナスはプラスになります。」
ご一緒に行ってみましょう「主にあって、マイナスはプラスになります!」 アーメン。
今のコロナの苦しみも、マイナスは主にあってプラスに必ず変えられます。
- 21:9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。
21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」
21:13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また魚も同じようにされた。
イエス様は、裏切ったペテロたちを責める事もなく、むしろ疲れ切った弟子たちのために、イエス様は温かい朝食を備えておられました。「さあ食べなさい」焼きたてのパンと焼き魚です。日本ならは、炊き立てのご飯とみそ汁と焼き魚と漬物の朝食です。これは聖餐式です。黙って弟子たちに給仕し、仕えるイエス様のお姿は叱責以上の効果があります。弟子たちには、生涯忘れ得ぬ恵みと祝福の交わりとなったのです。
- 結論 :「あなたの舟の右側に網を打ちなさい」 (ヨハネ21:6)
21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。
今日のみことばを受け、自分の生活にみことばを適用し、実践しましょう。
あなたが、何もとれなかったという経験は、何でしょうか?素直に自分自身を見つめ直しましょう。舟の左側に網を打って、実を結ばない繰り返しの出来事は何だったのでしょうか?
今朝、祈られたことのない方も、素直に「主よ、私を助けてください」と祈り求めませんか?
「罪の悔い改めとイエス様への信仰という聖なる上着をまとい」、人生の選び直しをして、主との正しい関係を回復しましょう!
❶あなたが、主の御言葉に従う時、大きな祝福があるのです。
今までのあなたの舟の左側に網を打つ、昔からの自分の能力や力に頼って、本当の意味で、実を結ばない空しい繰り返しではなく、本当の実を結ぶため、あなたの人生をリセットして、主に立ち帰り、選び直しをして、もう一度、あなたの舟の右側に、新しく神の側に、主に信頼し、主に拠り頼み、舟の右側に網を打って、主のみ言葉のチャレンジに応え、祝福を受けましょう!皆さんアーメンですか?
お祈りいたしましょう。「愛する主よ。感謝いたします。私たちが実を結ぶことなく、失望落胆の時も、あなたは私たちの傍らに立ち、呼びかけて、励まし、新しい備えをしてくださいます。主に信頼して、舟の右側に網を打ちます。今月もコロナの大きな不安と危機の中にあっても、おひとりおひとりが、家庭での育児や家事で、また勉強やビジネスにおいて、信仰により御言葉の原則に従い、あなたの祝福を受け、本当の実を、豊かな実を結ばせて下さい。主イエス・キリスト様の御名によってお祈りいたします。アーメン。