『イサクの結婚(3) ~結婚は、キリストと教会の関係~』 2020年2月2日
旧約聖書:創世記 24章50~67節 片柳教会・主日礼拝
●序.先週は、アブラハムしもが、息子イサクのお嫁さんを探すため、アブラハムの親族のいるアラム・ナハライムに向かい、リベカに出会った所まで確認しました。今日は、続きでイサクとリベカの結婚です。
●1. 結婚は、「主のみこころ」に従う (創世記24:50~61)
24:50 ラバンとベトエルは答えた。「【主】からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。
24:51 ご覧ください。リベカはあなたの前におります。どうぞお連れください。【主】が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」
24:52 アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して【主】を礼拝した。
24:53 そして、このしもべは銀や金の品物や衣装を取り出して、リベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。
●(1) 兄ラバンと父ベトエルは、主のみこころに従う
アブラハムのしもべエリエゼル一行は、ラバンの家でもてなしを受けました。そこで、しもべは、主人アブラハムから命じられたイサクの妻となるべき女性は、アブラハムの親族であるという条件の事を話した。
そして到着して、井戸の傍らで、しもべの祈りに対して、主が鮮やかに答えられた事を証しました。その女性は、しもべの求めに気さくに応じる親切な女性でした。しかも、10頭のラクダにも、井戸から水を汲みという忍耐強い女性でした。その女性はリベカで、何とアブラハムの兄弟の孫、つまり親族であったのです。
しもべの証しを聞いて、リベカの兄ラバンも父ベトエルも「これは主から出たこと、主のみこころと認め、リベカをイサクの結婚に同意しました。しもべは、ひれ伏して、主に感謝し、礼拝を捧げました。
私たちも主のみこころと確信したときは、喜んで主に従いましょう。アーメンですか?
●(2) リベカも、主のみこころに従う
24:58 彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。
24:59 そこで彼らは、妹リベカとその乳母を、アブラハムのしもべとその従者たちと一緒に送り出した。
24:60 彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ、あなたは幾千万にも増えるように。あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」
24:61 リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人の後について行った。こうして、しもべはリベカを連れ帰った。
翌朝、しもべは、アブラハムの所に帰ることを申し出ます。せめて10日程、親子水入らずで、別れの時を過ごしたいという母親の願いに、しもべは、一日も早く、リベカさんをお連れしたいと譲りません。
●兄ラバンと母は、改めて、リベカに尋ねます。「あなたは、この人と一緒に行くか?」リベカは「はい、行きます」と即答します。昨日、井戸で初めて出会い、今日には、イサクとの結婚を主のみこころと信じ、主に従う従順なリベカです。
「恋愛結婚」であれ、「お見合い結婚」であれ、結婚の本質は「主のみこころを確信し、主に従う」ことです。家族は、リベカを祝福して送り出しました。井戸の水を汲んだリベカにはお礼として先にプレゼントされた金雄飾り輪と金の腕輪は、現代の金に換算して150万円程の価値です。さらに結婚が決まってからは、花嫁となるリベカだけではなく、家族にも沢山の贈り物が与えられました。これが主の祝福です。
(使徒の働き16章31節)「 主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
主の救いがあなた一人だけではなく、家族全体に注がれるように、主の祝福は家族にも注がれます。
主は、私たち、主に従う者にも、やがて家族に全体にも主の祝福が注がれることを信じ、忍耐し、主に従順しましょう。皆さんアーメンですか?
●2. 結婚は、「キリストと教会」 の関係 (創世記24:62~67)
24:62 一方イサクはベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのであった。24:63 イサクは夕暮れ近く野に散歩に出かけた。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。 24:64 リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、
24:65 しもべに尋ねた。「野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおった。
24:66 しもべは、自分がしてきたことを残らずイサクに話した。
24:67 イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。
●アブラハムのしもべとリベカとリベカの乳母たちは、約1ヶ月の旅を経て、カナンへと向かいました。
62節から舞台はカナンのヘブロンに移ります。ちょうど仕事を終えて戻って来たイサクのもとにリベカたちが近づいて来ました。
●らくだに乗っていたリベカもイサクの姿を見つけ、「野を歩いて私たちを迎えに来るあの方はどなたですか?」と尋ねます。しもべは「あの方が私の主人です。」との答えを聞くと、リベカはラクダを降りて、ベールで体を覆いました。当時、婚約が成立した女性は、結婚まで相手の男性には顔を見せないという習慣がありました。ベールで覆ったことで、リベカは、イサクに対して私はあなたの婚約者ですとハッキリとメッセージを伝えました。イサクは、3年前に、母を亡くしていました。その母の天幕にリベカを連れて行き、慰めを得ました。 これは非常に美しい絵画のようなロマンチックな結婚の物語です。
但し、リベカを母の天幕に連れて行きました。イサクは、マザコンですね。イサクは素晴らしい信仰の人でしたが、マザコンで、自立できていません。リベカを配偶者としてではなく、リベカを母サラの代理として迎えたのです。精神的に自立していないイサクとリベカ夫婦の家庭に影をもたらし、双子の息子エサウとヤコブの兄弟ケンカの伏線となりました。
ところでイサクとリベカの結婚は、キリストと教会の関係にたとえられます。
❶旧約聖書のイサクは、アブラハムの一人息子で、しばしば神のひとり子イエス様にたとえられます。
❷イエス様が十字架の犠牲に献げられたように、イサクも全焼の犠牲として献げられました。
❸イエス様が死から三日目に復活されたように、イサクも、三日目に主の備えられた雄羊によって死ぬべきところを免れました。
このようにイサクは、キリスト、花嫁リベカは、教会にたとえられます。そして結婚は、使徒パウロがキリストと教会の関係になぞらえられています。新約・エペソ人への手紙5章18~25節を開きましょう。
●5:18 むしろ、御霊に満たされなさい。
5:19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
5:20 いつでも、すべてのことについて私たちの主イエス・キリストの名によって父である神に感謝しなさい。
5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。
5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように夫は妻のかしらなのです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し教会の為にご自分を献げられたように,あなたがたも妻を愛しなさい。
結婚についてですが、独身の皆さんに、結婚の祝福を語りすぎるのも問題かもしれませんし、反対に、人間の罪のゆえに、結婚の困難さを強調しすぎるのも、結婚への夢も希望も失わせてしまいます。
大きな励ましと希望は、このエペソ人への手紙です。
エペソ人への手紙5章は、イエス様の十字架の救いによるキリスト者の再創造という大きな視点から、すべての人間関係を見直す一つの題材として家庭が描かれています。家庭は神のみわざの舞台です。
「新しい創造としての結婚の関係が教えられています。」神のかたちに創造された男と女が、キリストにあって再統合される新しい結婚のことを教えています。
その中心聖句が「御霊に満たされなさい。・・・キリストを恐れて互いに従い合いなさい。」です。
●18節の「御霊に満たされなさい」という主動詞を修飾する四つの分詞の節があります。
第1は、(5:19)「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い」こと、
第2は、(5:19)「主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」です。
第3は、(5:20)「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」
第4が、(5:21)「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。」という勧めです。
つまり、クリスチャンは、聖霊様に満たされて、お互いを尊敬し、従い合うという人間関係が、夫と妻の結婚の関係に表されるというのです。
●5:22 「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」と訳されている言葉は、新約聖書のギリシャ語では厳密には、「妻たちよ。主に対するように自分の夫に」と書かれています。実はこの22節の原文には「従いなさい」という動詞はありません。分かりやすい翻訳のために「従う」という動詞を入れたのです。でも原文にはない命令形を2回も入れては、妻への一方的な服従命令が強調されていると誤解を与えます。これはあくまでも、すべてのクリスチャンに命じられている「互いに従いなさい」という枠の中で、妻が率先して主のご命令を夫との関係の中で実践するようにと勧めるものです。
これは今までの人類の歴史の中で、女性差別と封建制によって「服従」を強いられている女性に向かって、被害者意識から自由になって、「従う」ということをキリストの視点から見直すという発想の転換を迫るものです。つまり、妻も夫も、聖霊様に満たされて、主を心から礼拝し、賛美し、感謝をささげるという信仰生活の中で、心から夫に仕える、妻に仕えるという創造的な生活が勧められています。
クリスチャンの生き方は、徹底的に人の気持ちに寄り添い、仕えるという生き方です。
当時の宗教指導者が、言葉だけで教えて、人を動かそうとしていた時に、イエス様は、無言でしもべとなって弟子の足を洗い、仕えるという行動で、弟子の心を変えようとされました。
●5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
ギリシャ語の原文でも、妻の場合とは対照的に、「愛しなさい。」という動詞が2度も登場します。
夫に対しては、「妻を愛しなさい」という絶対的な命令形で書かれています。
イエス様は、教会を愛して、教会のために、十字架で命を捨てられ、自己犠牲の愛で仕えられました。同じように、夫は、妻を、キリストが教会を愛したように、命を賭けて、妻を愛し、仕えなさいと命じられています。こうして、キリストが教会を生かすように、夫も妻を生かすことができるのです。このように、イエス様を信じ、救われた者は、聖霊様に満たされて、主に向かい、礼拝し、互いに仕え合い、愛し合い、幸せは家庭を築くのです。
愛する兄弟姉妹、私たちも、夫婦も、親子も、イエス様を信じ、聖霊様に満たされて、互いに愛し合い、仕え合うのです。これが新しい主にある家族、夫婦、親子の生き方です。すでに結婚されておられる皆様は、パウロの勧める夫婦を目指しましょう。将来結婚を目指し兄弟姉妹は、主にあって結婚に希望と夢をもって幸せなクリスチャンホームの建設を目指しましょう。皆さんアーメンですか?
お祈りしましょう。「父なる神様、御子イエス様、聖霊様、三位一体の主の御名を賛美します。あなたは人を、神のかたちに似せて、男と女とに創造されました。そして結婚を制定されました。家庭は、神のみわざの舞台です。しかし、あなたに罪を犯し、この世界は堕落し、家庭にも罪の闇が入りました。あなたは御子イエス様を遣わして、十字架の贖いにより、私たちを救い、再創造された者として、私たちが聖霊様に満たされて、共に主に向かい、礼拝し、家庭が再建され、夫婦、親子が主にあって愛と信頼に結ばれて、互いに仕え合い、愛し合うことによって、あなたの祝福を受け、主の栄光を現わすことができましょうにお導きください。御言葉に感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りいたします。アーメン。」