2019年4月28日
聖書:ヨハネの福音書11書1~15・20~25節
片柳教会・主日礼拝
召天者記念礼拝 『ラザロの復活 ~イエス様はよみがえりです、命です~』
2019年4月28日
聖書:ヨハネの福音書11書1~15・20~25
片柳教会・主日礼拝
●11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。
11:2 このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
11:3 姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
11:4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
●11:8 弟子たちはイエスに言った。「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」
11:9 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるではありませんか。だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。
11:10 しかし、夜歩けばつまずきます。その人のうちに光がないからです。」
11:11 イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」
11:12 弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、助かるでしょう。」
11:13 イエスは、ラザロの死のことを言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。
●11:14 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。
11:15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。
●11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
11:21マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」
11:23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
11:24マルタはイエスに言った「終わりの日のよみがえりの時に私の兄弟がよみがえることは知っています」
11:25 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
●序.先週はイエス様の復活を記念するイースターでした。ヨハネの福音書は、11章からは、イエス様が、人類の救いのために十字架の道を歩み、復活へと向かわれます。その導入にヨハネはべタニアのラザロの死とよみがえりの出来事を取り上げて、「復活のしるし」としてラザロの復活を告げています。
●1. 死の前に、「私たちは無力です」 (ヨハネ11:1~3)
11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。
11:2 このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
11:3 姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
ラザロという人は、ベタニヤのマルタとマリアの弟でした。イエス様はエルサレム滞在中、よくこの兄弟たちの家に立ち寄られました。イエス様にナルドの香油を注がれたマリヤの美しいエピソードがある、主を愛し従う家族でした。その弟ラザロは、不治の病にかかり、ついに亡くなりました。
さて、ここに登場するラザロは私たちであり、私たち自身です。なぜなら、ラザロは一言の言葉も、発してはいません。人間は、死の力の前には、どうすることもできない、私たちは無力な存在です。
そのような無力なラザロに、主イエス様は、深い愛を注がれます。そして命へと導かれるのです。
そのように、主イエス様は、死に行く無力な私たち一人ひとりを憐れみ、主の恵みを与えてくださるのです。主の十字架の愛を持って永遠の命を与えてくださるのです。皆さんアーメンですか?
●2. 死に至る 「病は絶望です」 (ヨハネ11:4~7)
11:4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
マルタとマリアは、弟ラザロの重篤という試練を与えられた時、直ぐにイエス様に来て頂きたいと使いを送ります。しかし、イエス様はなぜか、「二日間とどまられました」 なんと、その間に、愛する弟ラザロは亡くなってしまったのです。 マルタとマリアの悲しみ、痛みは、いかばかりでしょうか。
その悲しみ、絶望は、主イエス様でも、弟ラザロの病を癒し、生かすことができなかったのだという、深い絶望感です。姉マルタの嘆きと絶望の言葉が記録されています。
11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
11:21 マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら私の兄弟は死ななかったでしょうに。
●実は、デンマークの実存主義哲学の創設者デンマークのキェルケゴール(1813― 1855年)は、このヨハネの福音書11章4節に影響を受けて『死に至る病』を書きました。「死に至る病とは絶望です。」とキルケゴールは語りました。キルケゴールは、父の犯した罪で、他の兄弟たちは皆34歳前に死にました。きっと自分も、34歳までに死ぬと絶望していました。
私たちは、しばしば人生の病に倒れ、嘆き絶望します。病だけでなく、受験や仕事の失敗や挫折、失恋や離婚を通しても失望落胆します。自分自身にではなく、このような辛い人生の出来事を許された主に怒り、失望落胆し、絶望するのです。あなたは、どんなことで、失望、落胆されますか? 何が絶望させますか? ひとりぼっちの孤独ですか?子どもや家族ですか?しかし、キルケゴールは、「死に至らない病が希望に繋がる」と語ります。「病が死に至らず、絶望に陥らないためには、イエス様を受け入れ、信じることだ」と、語りました。 キルケゴール自身、イエス様を信じ、絶望から希望へと変えられました。
●11:14 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。
11:15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
イエス様は、「さあ、彼のもとに行こう」と、すべてを備えられた時、ラザロのもとに向かいます。しかしそれは、同時に、イエス様を殺そうとしている人々の只中に再び舞い戻ることです。
それでも、イエス様は、十字架にかけられる「夜」はまだ来ない。「昼のうちに」眠っているラザロを「起こしに行く」と言われました。主に愛されている者の死とは滅びでもなく、別れでもなく、眠りの時です。
そして眠りから目覚めさせ、命の朝を迎えさせてくださるお方は主イエス様です。
そのために主は「さあ、彼のもとに行こう」と言ってラザロのもとに行かれます。そしてイエス様は、あなたの所にも来てくださいます。皆さんアーメンですか?
●3. 死は 「神の栄光のために」(ヨハネ11:4)
11:4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
普通、親しい人の危篤の時の知らせを受けると、すぐに駆け付けます。私たちは、生きているうちに会いたいからです。
しかし、主イエス様は、人間の死の現実に左右されることもなく、死を克服して命をお与えになります。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。」イエス様は、ラザロの病気を通して、ラザロの死を通して神の栄光が現わされる。死を克服して命が勝利することで、「神の子が栄光を受けることになる」と宣言されたのです。
イエス様の栄光、それは十字架です。イエス様が、あなたの罪と救いのために十字架で命を捨てられ、三日目に復活する。ここに主の栄光があります。世界中の私たちラザロに命を与えるためにイエス様は十字架の道を歩まれまた。
皆さんアーメンですか?
●結論: 「イエス様は、よみがえりです。命です」 (ヨハネ11:25)
11:25 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
イエス様は、復活の命で、ラザロをよみがえらせました。ラザロは、私たちの先駆けです。イエス様を信じるすべての人に復活の新しい、永遠の命を与えてくださるのです。 皆さんアーメンですか?
先週の火曜日、西部卓兄の愛媛におられる叔父さんの青野勉兄が天に召されました。昨年暮れに、西部兄の個人伝道でみごとに救われました。青野勉兄は、召される最後まで、西部兄が個人伝道で用いられた小冊子ビリーグラハム先生の『永遠の平和へのステップ』をいつもベッドの傍らの手元に置かれ、目を通して、手から離さなかったそうです。そして先週この地上の歩みを全うされてイエス様が待っておられる永遠の平和の天国へと凱旋されました。「私は、よみがえりです。いのちです」と宣言されたイエス様が、あなたに罪の赦しと救い、永遠の命を与えるために、ご自身のお体の肉を裂かれ、尊い血潮を流されたことを心に留めて、復活の主を信じ、主に感謝し主に心から賛美をささげましょう!
お祈りいたしましょう。「復活の主イエス様、御名を心から賛美します。召天者記念礼拝を感謝いたします。私たちはラザロです。死の前には、沈黙し、手も足も出ない無力な存在です。主は、絶望する兄弟マルタとマリアを顧みて、ラザロを憐れみ、復活の命で死の床よりよみがえらせてくださいました。イエス様の十字架の死と復活は、私たちの罪と絶望に対する勝利と希望です。イエス様を信じ、先に天に召された愛する家族、兄弟姉妹との再会の望みのゆえに心から主に感謝します。私たち一人一人を、導き、イエス様を信じ、復活の命の恵みへとお導きください。主イエス・キリスト様の御名によってお祈りいたします。アーメン」